神奈川県の山内 喜美子

  • 全国対応
  • photo
  • photo

【ありのままの自分でいられるような支援】

家庭裁判所の家事調停委員を9年間務めた経験と、産業カウンセラーの資格を活かし、現在老舗のEAP企業(従業員支援プログラム)にて、17間にわたりカウンセラーとして活動しております。

職場であれ家庭内であれ、お困り事の多くは対人関係から生じがちなものではないでしょうか。

まずは、そんな状況を思いつくまま吐き出してみられるだけでも、往々にして整理にもつながります。

経営者の皆様が、少しでも経営そのものに専念できるようなお手伝いを目指しております。

守秘義務・プライバシー保護は厳守いたします。
ご連絡を是非お待ち申し上げております。

 

住所
〒244-0003 神奈川県横浜市
職種
  • 経営者向けカウンセラー
対応エリア
  • 全国
電話
090-6523-5324

電話連絡の際は、「事業承継専門ネット」を見たと一言お伝えください。

営業時間
火曜日、木曜日:10:00~20:00
土曜日:10:00~18:00
継続に至る際のご相談日時は、クライアント様の状況に応じて随時
決めています。
代表者
山内 喜美子

産業カウンセラー

◆経歴
【職務経歴】
外資系航空会社(客室乗務員として勤務)
アメリカン・ラングエージ・スクール(マネージャーとして勤務)
財団法人国際協力推進協会(専務理事秘書として勤務)
横浜家庭裁判所(横須賀支部の家事調停委員として勤務)
社団法人家庭問題情報センター(特別会員として、離婚した別居親と子との面会交流の援助活動に従事)

【カウンセラー歴】
川崎市(エイズカウンセラーとして2005年より現在に至るまで登録中)
大手老舗EAP企業(2005年より現在に至るまで専属カウンセラーとして活動中)

◆実績
家裁の家事調停委員としての面談、及び現在に至るまでのカウンセリング実施回数は、合わせておよそ延べ5500回以上に及ぶ。
★様々な家庭問題を扱う公益社団法人FPICにおいて、別居親と子との面会交流現場での支援活動に従事してきた。
※DVなどによる離婚で、親同士が断絶している状況下で仲介役を務め、親子の面会時につきそうなどの活動。
★カウンセリング現場では、様々な悩み事への解決に向けての支援活動に従事。
人事リファーによる休職・復職支援にも多く携わる。
リンク
経営者向けカウンセリング特設ページ
料金の目安
20,000円/1時間
初回は、どのようなカウンセラーでどのようなカウンセリングになるのか、試していただく意味で無料になりになります。
ライン電話でのカウンセリングになり、画面を共有するか否かはクライアント様のご希望に沿います。
尚、継続の際にはお振込みの確認させていただいてからとなります。
その他

≪山内喜美子のコラム≫

カウンセラーのつぶやき 

その①「DV相談には男性も多いこと知ってますか?」
妻からのパワハラ、モラハラに悲鳴をあげられないのはナゼ?
男性用のシェルターが無いのはナゼ?

それは、依然としてある男女の収入格差による、男性側の経済的優位性からもたされているからだ。
また、男性も広くDVの被害者であり得るという認識が、社会的にも欠如している背景があると思われる。
DVの世界においての男性側が被害者の場合、彼らは仕事のできるひと、との相場が決まっているのが常道だ。
真逆の場合、そもそも加害者から選ばれることはまずない。
そんな多くの被害者男性たちの特徴は、好青年(イケメンが多い!)であることだ。
最もそうでなければ、女性からは見向きもされないであろう。
そして、同時に、そんな妻たちは支配下に置いている夫の実家にはなにかと難癖をつけ悪の権化とみなすことに例外はない。
さすがに夫の実家までコントロールが及ばない為だ。
自己中他罰型の典型だろう。
多くの場合、夫は実家と絶縁する流れとせざるを得なくなる。
また、折に触れて夫がとうに忘れている過去のできごとをもち出しては、誰がこんなかわいそうな私にさせたのだと、つめ寄るのもよく聞く話である。
一体どっちがかわいそうなのか…。
夫をメンタル的におかしいと追いつめ受診させるケースも多々見受けられる。
そもそも職場では優秀な働き手である彼等の現状と一致しないのだが、家庭内でのストレスが引き金になっているケースはあるようだ。
夫の分の料理を作らないなど居場所をほぼ無くさせることも、妻ならではの陰湿ないじめだろう。
夫の方も時間帯を気遣っての帰宅となることも多い。
また、食事を作るも夫の在宅時には一間に閉じ込め、都度食事はその部屋の前に置くという事例もあった。
妻の不在時にだけ夫は居間にも出入りできるという、家庭内別居ならぬ家庭内軟禁といったところか。
そんな彼らにとって、職場だけが唯一の一時的な逃げ場としてのシェルター、と化しているのが現状なのである。
また、もし、離婚となった暁には、夫に対して法外な慰謝料の要求を突きつけるとの脅しも効果的に働いているようだ。
が、所詮、脅しは脅しである。恐怖というメガネを外し、法的な根拠も効果もないことが広く認知されることを願うばかりだ。
そして、不思議なことに、就寝時間帯に彼らのスイッチが入ることが多く、深夜に及ぶまでの説教が延々と続くのも共通する現象だ。
信じがたいことに女性と言えども、肉体的な暴行もさることながら、夫をいたぶる際の怒声は大層なドスをきかせているようだ。
そうやって恐怖感をあおる手口は、まるで頬に○○のある人たちも顔負けかもしれない!
時に涙、モラハラ、恫喝、暴力と巧みに織り交ぜつつ、夫たちの精神的な手足をもぎとってしまうのだ。
最も、それは男女がどちら側に立とうと、ひとがひとを支配する構造に差はない。
そして、そんな支配者としての彼ら彼女たちは例外なく、強烈な自己否定感に裏打ちされていることに疑いの余地はない。
そんな自己の有り様が他者、特に配偶者に向けられているのだ。
また、因果にも被害者側も同じく自己否定感にかられていることだ。
そこでお互いがかみ合い、まるで共鳴し合っているかのような様相を呈しているのは、なんともやりきれない思いである。
会社などの組織体であれ、最小単位の家庭内であれ、ひとがひとをいたぶる構造には共通点がある。
いじめる側はまずいじめる人を選ぶ。
その基準は、自分にとっておいしいエサ(相手が怯えること)を与えてくれるか否かを見極めることなのだ。
そして、特に就寝時間帯に彼らのスイッチが入ることが多いのは、自分たちの疲れを癒すのと同時にストレス解消も担っているのだろう。
同じように、組織内でのパワハラも自宅への電話やメールで、深夜に及んで繰り広げられることもあるほどだ。
では、ナゼ、被害者たちはそんな環境下から抜け出せないのか、また、抜け出そうとしないのか。
それは、恐怖による支配下に長期にわたり置かれ続けていると、正常な思考力が失われてしまうからと思われる。
その最たるのものが、このような状況を引き起こしたのは全部自分のせいだと思い込んでしまうことだ。
長じて、サバイバーズギルト(九死に一生を得たような過酷な体験から自責の念に駆られてしまう)に通じる点があると推察する次第だ。
人は過酷な条件下では、自分を責めることで現実との整合性を図ろうとする無意識の作用が働きがちだ。
やがていつの間にか、加害者のモノサシに合わせられ共有するのが習わしとなってしまう。
また同時に、ある意味慣れ親しんだ環境から抜け出したくない、という意識も働くようだ。
加えて、世間体というカイブツに惑わされる要因も絡んでいるかもしれない。
そんな妻たちは、ATMとしての、アッシー君としての、はたまた家事育児の担い手としての貴重な資源を、そう簡単に手放しはしないだろう。
また、ナゼ、加害者がそのような言動に走ることができるのか、またはするのか。
彼らの心の内は一体どうなっているのか。
それを理解することなしに、状況改善に向けての歩を進めるのは片手落ちであろう。
実のところ、彼等たちには自信も余裕もない。
だからこそ、それが高じて疑心暗鬼の塊になるが故に暴言暴力につながるのだ。
そんな怒り狂う姿からは一見強そうに見えるだけで、実は内面のもろさをさらけ出しているに過ぎない。
本当に真っ当な意味で強い人とは思いやりにあふれているはずで、そもそもDVをふるうこととは相入れないはずだ。
彼らがそうなってしまう要因はケースによって様々と思われるが、一番その辺りを、推察し把握できるのは当事者である家族ではないか。
しかし、一番影響を受けるのは、なんといってもそのような両親の元に生まれた子供達であることは言うまでもない。
被害者側の男女を問わずに、子供が居る場合は人質をとられているにも等しくなってしまう。
当然子供たちは、そんな両親のあり様を目の当たりにしながら育つ。
そして、多くの子供たちは、この世に自分たちは望まれて誕生したのではない、と、無意識に学習をしてしまいがちなことは痛ましい限りだ。
もちろん全ての人がそうなるとは限らないが、負の連鎖反応が生じやすいゆえんであろう。
そして、子の為に離婚を思い止まると言うのも良く聞く話だ。
状況によってはそれが正解の場合もあるかもしれないが、多くの場合、将来それを知った子供たちにとっては、心理的な負担を強いることにもなり得る。
それは責任転換にも通ずるからだ。
 
世には、DV=女性が被害者、との認識が定着しているようだ。
が、私が担当したカウンセリングの現場では、夫側からの相談が実に8割がたを占めている。
男性特有のメンツも相まってか、誰にも相談できずに抱え込んでいるケースが大半だ。
それが実態を見えにくくしている大きな要因かと思われる。
男女ともに、妻も夫もいつかはわかってくれるのではと、はかない望みを抱いているのが痛いほど伝わってくるが、多くの場合、砂上の楼閣に過ぎない。
やがて子供たちも巣立ち二人だけの人生が訪れ、その先には介護が待っている。介護虐待(純粋な介護疲れのケースは除くとして)も、どちらが加害者被害者かを問わずとも、そんな背景が一因としてあるのではないかと推察する次第だ。
今が辛い時、遠い先に何を見据えるか、が一つの大きなターニングポイントになるのではないか。
そして、決してエサを与えないという毅然とした態度抜きにしては、前に進めないのではないか。
そのこと自体、好戦的になるのとは次元の違う話である。
過去と他人は変えられないが、自分自身の有り様も含め現状は打破できるのではないだろうか。
親がうらみつらみにあふれた人生を送ると、子供たちをも巻き添えにしてしまうリスクを伴いがちなのも気になるところだ。
どんな選択をするにせよ、子供たちは親の後ろ姿を見て育つ。
例え、もし夫婦が別れることになったとしても、親自身がより良き人生を目指して歩む真摯な姿を貫くことが肝心なのではと…。
調停委員時代、私が別れゆく夫婦たちに語りかけた言葉だ。


その②「コロナ渦中の悪夢」
これまでの面談も在宅での電話相談に切り替えざるを得ない日々が続いていた。
そんなある日のカウンセリング中に、ことは起きた。
クライアントが沈黙し始めた中盤、カウンセラーもじっと息をひそめていたその時、ピンポーンパーン!
なんと数か月分の大箱の冷凍食品が届いた!
止む無く事情を説明し、クライアントには一旦電話を切りお待ちいただくこととした。
大きな段ボール箱の中には、更に小分けされ厳重に封印された箱が何箱も…!
まとめ買いすると安くなる、そんなうたい文句に乗ったわが身をどれほど呪ったことか。
ナタならぬカッターを手に髪逆立てまなこつり上げ、バッサバッサとテープを切り裂いていき、ようやく箱の中身に到達するも、膨大な数に目をむく!
敵は冷凍食品、時は夏。
早くせよと責め立てられ鬼の形相で迎え撃つも、冷凍庫の中は乱雑が故苦戦を強いられるばかり。
そうこうするも、神業のごとく(と思いたい)の作業を数分(多分)で終え、髪を整え息を整え、優雅に(のつもり!)電話を手にしたのでした。
あれは本当のことだったのか…。


その③「おまえ、オトコが…」
その昔私が所属していた家裁は、当時一番古い(確か全国内で)とされていたレトロな建物で、調停室は2階にありました。
それは、ある日の昼頃に当庁したときのことでした。
2階に上がったところで、先輩男性調停委員が廊下にたたずんでいた光景に出くわしたのです。
彼の目線は、窓から見える駐車場にくぎ付けでした。
どうされたのですかとお聞きしたところ、今しがた調停(確か元夫婦の)が終わったばかりの二人の当事者の様子が気になって見守っている、というお返事でした。
そこで私は、では顔の知れてない私がそばまでいって様子見て来ましょうかと申し出たところ、是非に、と頼まれたのです。
勇んで、あ、いえいえ、おもむろに今来た階段を下り駐車場へと向かいました。
そして、二人からは1~2m位の至近距離までさりげなく近づいていきました。
女性は軽トラックの運転席に座っており、エンジンがかかっている状況。
その車のそばで窓越しに男性が話しかけているといった場面でした。
空を仰ぎ見ながらダンボになった耳に、会話は飛び込んできました。
「おまえ、オトコでもできたんだろう?」
「あんたには関係ないでしょっ!」と、言い捨てたと思いきや、軽トラックは去っていきました。
無事確認の責務を果たしつつ、人生のひとこまを垣間見た瞬間でした。


その④ある母親と子の出会い
両親がDV絡みなどで離婚した場合、その後の子たちの面会交流の連絡のやりとりも難しいケースが多々ある。
その仲介役を果たし、実際の親子の面会時にも立ち合う援助をしていた当時のひとつのケース。
 ある日のある親子の面会の日のこと。
4歳の幼女が父親と手をつないで面会場所に現れ、指定された部屋がある廊下で私たちはたまたま行き会った。別居親である母親との面会が予定されていたのだ。ほどなくして母親が歩いてくる姿が私たちの視界に入った。当然幼子にも目の前に現れた母親に気づいたはずだったが、全く視線を向ける事さえなく、むしろ気づかないのかなと危ぶむ位であった。
その後は予定通り、母と娘の約1時間の面会交流が一室で行われた。
面会後に母親から、会うや否や娘は飛びついて来、私の膝上から30分ほども離れずしがみついたままだったんですよ、と、そう報告され私は言葉を失った。
 廊下での一件は、4歳の幼児が父親をおもんばかってとった行動だったのだ。
今でも、私はそのことをなぜ父親に告げなかったのか悔やんでいる。


その⑤ある父親と子の出会い
私がまだ調停委員新人時代の頃のこと。
離婚した元夫(米国人)要望のもと、会うことが叶わなかった二人の幼女たち(長女は5歳前後位、次女は2~3歳位)との試験的な面会交流を、家裁で実施した時だった。
法廷用の広い部屋が使用され、椅子などは形隅に片付けられてスペースが作られていた。
隅には、元夫の弁護士、元妻とその母親、調停委員二人、調査官たちが固唾をのんで見守る中で行なわれた。
当時の家裁は古い建物でまだミラー付きの部屋が無く、´観客´を入れざるを得なかったのだ。
そんな射るような沢山の視線の中で、久しぶりの父娘たちとの顔合わせが行われた。
 
 父親が満面の笑みで二人に近づくも、なんと長女はそっけない態度に終始し、妹もお姉ちゃんを見習った行動をとった。
父親が持参した、かつて二人が遊んだであろうおもちゃなどを見せつつ懸命にあやし始めた時、ふたりが思わず吹き出してしまったのだ。
それまで耐えていた何かが噴き出したかのように…。
やっと親子らしい場面に出会えて、元妻とその母親を除いた大人たち(多分)は、一
様に胸撫でおろした(と思う)。
 一般に親が離婚した場合、子供たちは同居親を非常に気遣うものとされる。
ましてやその時のように、母親と祖母が直接注視している中では、小さな胸の内はいかほどだったか。
幼子と言えども、いや、幼子だからこそ、大人が思う以上に自分たちの置かれた状況を、鋭く把握しているのだと、初めて見知った時だった。
当時、突然元妻が子供たちを連れて地方の実家に戻ってしまっていた。
しばらくの時を経て、元夫が面会交流の要望か、親権変更かの調停の申し立てをした流れの中で、起きた場面だった。
 
 面会終了後、私は元妻に「お子さんたちとお父さんとが会う機会を遮ぎ続けていくと、将来何らかの形が(お子さんたちから)跳ね返ってくるのではと心配です…」と率直な思いを伝えた。
それを聞いた時の元妻の見開いた目を、今でも忘れられないでいる。
それで調停は終了したため、その後のことはわからない。

 

⑥「自分へのトリセツ」
ひととうまく折り合えない、と言うような悲鳴にも似た慟哭をよくお聞きします。
それは、ひとえに自分との折り合いが苦手なことの裏返しであることに気づいてないからなのです。そう、コインの裏表と同じですね。
生きていく上で生まれてからは親と、その後は兄弟から始まって家族間の、幼稚園、小学校…と、やがては社会人として、ひととの関係性抜きには生きてはいけないのが人生です。
そんな中、誰とも波風立たなくて済んだと言い切れる人がもし居たとしたら、その分周りの人が泣いているのです。
サーフィンに例えれば、大きな波が来た時上手くその上に乗るのが醍醐味でしょう。
ヨットであれば風を上手く利用しつつ帆を加減しながら船を操るのが醍醐味でしょう。
しかし、どちらも一歩間違えば命をも落としかねないリスクと裏腹なのも、コインと同じです。
もちろん、波も風もひとがコントロールできるシロモノでないことは明白ですね。
サーファーやヨットマンたちは、そんな波風を上手く利用して醍醐味を味わっているのです。
同じく波風を糧にしてこそなんぼ?が人生生きていく上での醍醐味ではないでしょうか。
どうしたらそんな自分との折り合いをつけ、醍醐味が味わえるようになるのかをご一緒に考えていけたら、と願っております。
 月に降り立った時のアームストロング船長の言葉「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ!」と同じように、少しでもお手伝いの成果が出た時、カウンセラーが味わえる醍醐味なのです。


その⑦「繊細さん」
何事も敏感に感じ取ってしまう繊細さのため、他人をおもんばかるあまり遠慮の方が勝ってしまうのですね。
日常生活、特に職場など多数のひとと交わらなければならない場面での苦労が多いようです。
何か事ある度に敏感に考え過ぎ悲しみに沈んでしまう、そんなイメージでしょうか。
一方真逆に見える形として、怒りっぽいひともいるものです。
意に反する事柄に対して、ある意味同じように敏感に怒りを感じてしまい、不快な気持ちになる。
攻撃的なイメージからか、「繊細さん」というカテゴリーには含まれないようですが、果たして…?
嘆きのスイッチも怒りのスイッチも、実は表裏一体なのではないでしょうか。
なぜならその根本にあるのは、両者ともネバナラヌ思考に基づいて表出されるからです。
繊細さんの場合は、その矢面を自分に向けてしまいがちになるようです。
後悔から自分を指さすとき残りの三本の指は他者を指します。また、怒りから他人を指さすときの残りの三本の指も同じように自分をも指しているのです。
嘆きと怒りのスイッチ、どちらを押すかの違いだけで結果起動するのは、こころの怒りという働きなのです。
嘆きは怒りの変形バージョン、そして逆も真なり。
どちらのスイッチを押しても、周りの人たちにもそれなりの影響を与えることとなります。
ただ、一番振り回され辛い思いをしているのは、当のご本人たちではないでしょうか。
 
では、どうしたらいいのか。
そもそも自分さえをもコントロールできないのに、他者をコントロールしたい気持ちに駆られる(勝ちになるものですね)という矛盾、つまりカラクリを知ることです。
繊細さんは、他者からどう見られるかが気になるのが辛いところでしょう。
そう、逆もやはり同じなのですね。
自分自身のこころのあり様が外に内に向けられる。
そんな構造を理解することで、だれにもあるこころのメガネの曇りが、少しでも晴れるといいのですが。


その⑧「カウンセリングという名のサプリメント」
私たちは、日頃食べ物に関しては当たり前のように味や栄養素に気を配っています。
一方で、意外とこころの栄養素という観点は、見落としがちなのではないでしょうか。
芸術やスポーツに勤しむのは、英気を養う点で効果的なのは言うまでもないことです。
ただ、それらを楽しむことができなくなる時は、メンタル不調のサインである場合が多いのです。
昨今食品だけでは補いきれない分を、サプリメントの摂取で賄うのも良くあることです。
では、メンタルの面での栄養素とはどんなものでしょうか。
ほとんどの悩みや対立の原因は、コミュニケーション不足から生じるものです。
誤解はその最たるものですね。
そして、表面的なコミュニケーション不足だけでなく、亀裂に生じるまでの長い歴史なり構造が背景にある場合も多いでしょう。
しかし、そこに至るまではやはり意識的無意識的を問わずに、小さなコミュニケーション不足が積み重なってできた結果ではないかと思うのです。
チリも積もれば山となる、ですね。
その小さなコミュニケーションとは、自己との対話のことです。
自分とこころとのやりとりが十分でないと、盤石でない基盤の上に建った地震に弱い家みたいなもので、ストレスに打たれ弱くなりがちになります。
身体に例えれば、栄養失調の状態になってしまうのです。
メンタルの場合も健やかに保つためにはやはり栄養が欠かせません。
身体上の最大となる必須栄養素はタンパク質ですが、メンタル上でそれに匹敵するのが自己肯定感という栄養素になります。
頑健な肉体であれば少々の負荷がかかっても乗り切れるように、メンタルにも同じことが言えます。
問題は、その肯定感という栄養素が健全か不健全か、に関わってくるのです。
それは身体上の栄養素であるタンパク質にも同じことが言えます。
腐敗した食物を摂れば必然の結果が生じるように。
メンタルの場合、不健全な栄養素で構成されていれば結果として、争いごとという名の他者を巻き込んでの栄養失調症に陥ってしまいます。
現在、ネットでの炎上という目の色変えてひとをバッシングする傾向がありますが、なんとも不気味な怪現象です。
匿名であることも相まってか、壊滅的な被害を被る方々が大勢いることにこころ痛む思いです。
そもそも、中傷誹謗するひと達は必須栄養素が欠けたが故の、深刻な栄養失調症状況をさらけ出しているのと同じなのです。
金持ち喧嘩せずと言われますが、それは心身共に健全な必須栄養要素が行き届いた状態とみなしてみると、頷ける気もします。
そして、現在も含め歴史を紐解くまでもなく、世の独裁者たちのメンタル構造は、うぬぼれという元素から成り立っています。
そもそもうぬぼれとは、不健全な自己肯定感を基盤にしており、それは自分自身を卑下する感情と裏腹なのです。
不健全な自己肯定感とは、自分自身を認められないが故の自己否定感そのものなのです。
そんな栄養失調症に陥った結果、他者をも巻き込んでの争いごとを招いてしまいがちになるのです。
最も、世の独裁者たちやDV等の加害者たちに至るまで、彼ら自身には不調という病識がないのではと推察されるところですが…。
何か生きづらいと感じたり、悩みを抱えてそれに捉われる時が多く沈みがちになる経験は、だれにでも起こることです。
そんな状態を少しでも心地よくする一助として、日常会話とは異なる世界での自分との対話も時には有効なものです。
そんな場としてのカウンセリングを、サプリメントとして捉えてみるのも良いかもしれません!

本日のオススメ専門家をピックアップ

事業承継専門ネットの最新コラム

  1. 事業承継とは
    事業承継とは
  2. 事業承継とは
    承継における3つのケースそれぞれのメリット
  3. 事業承継とは
    承継における3つのケースそれぞれのデメリット
  1. 事業承継専門ネット
  2. 神奈川県の専門家
  3. 神奈川県の山内 喜美子